2016年07月16日

考えるシリーズVol3【貧困って?】

なんだか慌ただしく天気が変わる日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
朝5時にすっきりと目覚めてランニングをしよう!と思い外を見るとじめじめ雨が降っていて、ランニングを諦め2度寝してしまい...学校に遅刻という日が数日続きました、白石です。

あまりにも知識が少なすぎるんだ!という一心で授業後予定がない日は、図書館に行き、気になる本を片っ端から読むという生活を送っています。そんな生活を送っているからか「考える」ことが多くなりました。ということで『初めての〜〜』を真似して、勝手にシリーズ化しました...!

もともと本を読むことは大好きなので、集中すると一気に読んでしまいます。学校と家の往復が、電車一本、且つ1時間以上の私にとって、通学時間が絶好の読書タイムです。

読む本はジャンル問わず、手に取っているつもりですが、やはりクセなのか「国際関係」とか「比較社会学」「比較宗教学」を読むことが多いです。

またまた、心のモヤモヤ晴れるモノが1996年、私が生まれた年に書かれていました。
例にもよって見田宗介先生です。
現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

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第3章"南の貧困/北の貧困"、『貧困というコンセプト 2重の剥奪』

貧困の定義について、多く使われているのは「1日あたりの生活費が1ドル」という水準だが、これは適切な定義の仕方と言えるのか?
よく耳にする「貧困」を語る上で使われるモノですね。我々から見れば、「1日を1ドル以下で?」と考え、非常にインパクトがあります。

が、見田先生はこの定義についてこう述べています。

"アメリカの原住民のいくつかの社会の中にも、それぞれにちがったかたちの、静かで美しく、豊かな日々があった。彼らが住み、あるいは自由に移動していた自然の空間から切り離され、共同体を解体された時に、彼らは新しく不幸となり、貧困になった。経済学の測定する「所得」の量は、このときは以前より多くなっていたはずである。貧困は、金銭を持たないことにあるのではない。金銭を必要とする生活の形式の中で、金銭を持たないことにある。貨幣からの疎外の以前に、貨幣への疎外がある。この2重の疎外が、貧困の概念である"

つまり、貨幣からの豊かさしか手に入れることのできない生活システムの中に投げ込まれる時、「所得」が人々の豊かさと貧困の物差しになる。

見田先生は、長く自給自足、自然・共同体の中で暮らしていたドミニカの農民を例に挙げ、
彼らの「所得」を1ドル以上にする政策によって「自分たちの食べるもの」を作ることを禁止された彼らは、食べるものを市場で買うほかなく「所得」は増大せざるおえなくなり、市場より、以前より貧しい食物しか手に入れられなくなっても、統計上、所得は向上し、「貧困」から救い上げられた人になる。この貧困の定義は、間違っているはずである。

そして、このような内容で結びます。

貧困/富裕、不幸/幸福という2つの問題を別に考えれば良い。「貧困でも幸福」な生はある。それは貨幣経済の支配し尽くしたシステム中にある世界の都市で、貨幣を少ししか得ることができず、けれども愛情や、感動のような至高のものの祝福されてあるような生のことである。一方で「貨幣を必要としない世界の貧困」を語るのは、空を飛ぶ鳥にも野に咲く百合も収入がないから「貧困」だということと同じぐらい、意味のない尺度である。

このような本を読むと、自分に何ができるだろうと考えます。
するべきことは、見田先生の例にあった、情報化/消費化社会のシステムを押し付けるようなモノではなく、
単純に幸せを感じてほしい。その人に寄り添って、理解しあって、支え合う。ただそれだけだと思いました。

これをすることで人は金銭的に「豊か」になるのか「幸せ」になるのか広い視野で考える必要があると感じました。
「豊か」になることで「不幸」になる人もいる。
そして「豊か」になるシステムの外部で、公害などの環境の限界が目の前で起こるかもしれない。

私は「幸せ」を中心に考えたいと改めて強く思いました。(白石)


posted by resultsjp at 00:31| Comment(2) | 情報