5月27日付日本経済新聞の「文学周遊」のコーナーに、竹西寛子著の小説「五十鈴川の鴨」のあらすじが記載されていますが、本作を通して、原爆の悲惨さを感じることができます。
本作は、主人公が建築業界のセミナーで同業界で勤めていた岸部に出会い、2人は意気投合します。ただ、主人公は家でもてなしたいと誘うが、岸部は頑なに断り続けていました。会わなくなってしばらくすると、岸部と結婚しようとしていた香田から、岸部の訃報と家族全員が原爆で亡くなり、彼自身原因不明の症状で治療を続けていたことが明かされます。彼からの託は、主人公とセミナー帰りに周辺を散策した日は良い日だった、ありがとうとの言葉でした。主人公は節々で彼の家族への想いや戦争への悲しみなどを思い起こします。
原爆は熱線や爆風のように一瞬にして物体を破壊する力を備えていますが、放射能のように生物や環境に目に見えずとも深刻な影響を与える力もあります。原爆の影響は被ばくした方の子孫にまで影響をもたらします。目に見えない不安を募らせていくのです。
つい先日、広島でG7サミットがあった際、その成果をどう捉えるかとのブログを書きました。
戦争によって被ばくした地域、広島へG7各国の首脳が集結すること自体が、私は非常に意義深いものと思っていました。
ただ、ふたを開けてみると、「被ばく地で行った意味がない」「サミットは大変な失敗だった」との厳しい声、否定的なコメントも多く見受けられました。わざわざ広島まで来てもらったのに、核兵器を全否定するどころか、核抑止論を正当化する流れがあったことに起因しています。
G7サミットを巡る賛否の記事はこちら:
http://resultsjp.sblo.jp/article/190363146.html
原爆の悲惨さは実際に被ばくされた方やその方から直接話を聞く方がよくわかるものだと思いますし、当時の映像や被ばく体験をもとにした作品からも感じ取ることができます。
私が言いたいのは、原爆はいかなる場合であっても正当化されることがあってはならないということです。それを正当化しようとしている非人道的な安全保障体制の考えには常に怒りをもって対抗していきたいと思います。
必ず人類はこの課題を乗り越えられると信じ、希望をもって、核兵器の問題に注目していきたいです。
Watagashi