2015年02月10日

マニラ活動報告(2)

1月22日、いよいよ1回目の米の配布です。
1回目は、配布対象の3600世帯のうち、政府が用意した永住住宅には住んでいない近隣のスラムの人々600世帯に配布しました。

彼らは、昨年閉鎖されたアロマゴミ捨て場のスラムから強制撤去された人々で、現在はアロマゴミ捨て場だった所のすぐ隣の新たなスラムにバラック小屋を建てて暮らしています。
20年前のスモーキーマウンテンの強制撤去、アロマゴミ捨て場の強制撤去。
政府がスラムを何度閉鎖しても雇用や社会保障による問題の根本解決をしないことによる負の連鎖がここにあります。

【新しいスラム】
新しいスラムの写真 2015-01-23 14 43 34.jpg

新しいスラム2.jpg

私たちと大量の米を乗せたトラックが到着した時には、既にたくさんの人が待ちわびたように列を作っていました。
さっそく米をトラックから降ろして配布の準備に取り掛かります。

トラックから米をおろす様子の写真3 2015-01-22 12 36 07.jpg
トラックから米をおろす様子の写真2 2015-01-22 12 35 53.jpg

配布時には、日本人で結成されたフィリピン政府公認のマニラの消防団 FJERA(Filipino Japanse Emergency Response Association Inc )の鈴木小隊長とアシスタントの方も、警護に駆けつけてくれました。

鈴木小隊長写真 2015-01-23 10 12 37.jpg

私たちは、消防団の方々、現地のボランティアさんと共に1回目の600世帯の配布を無事完了いたしました。

配布の様子、住人の笑顔の写真 数枚3 2015-01-23 10 33 20.jpg

米配布の傍ら白須代表はひたすら、いつもの現地ドライバーとともに、集まった人や周辺の人々から結核や栄養の情報収集に走り回っていました。

翌日の1月22日、2回目の米の配布です。
2回目は3000世帯の永住住宅の住人への配布となります。
前日の1回目より5倍の世帯数ですが、2回目はバランガイスモーキーマウンテンの職員の方々が中心となっての配布でしたので事前準備やオペレーションは完ぺきでした。

配布の様子、住人の笑顔の写真 数枚2 2015-01-23 10 23 00.jpg

バランガイの職員は、システマティックに、何棟の住人は何時に米を受け取りに来ると事前に通知していて、その時間に続々とスモーキーマウンテンの住人が訪れて、チケットと引き換えに米を持って帰ります。
バランガイの職員は、予め用意していた棟と部屋番号がかかれたリストから、米を渡した人の部屋番号を蛍光ペンで塗り潰し米の二重受取防止を徹底していました。

住民リスト写真 2015-01-23 9 52 16.jpg

配布の様子、住人の笑顔の写真 数枚1 2015-01-23 10 02 31.jpg

フィリピンのたくさんのバランガイで支援物資の配布活動をしてきましたが、スモーキーマウンテンのバランガイが一番きっちりした管理体制でした。

私たちもバランガイのスタッフと共に、たくさんの人々に米の配布を手伝いました。

白須さんとバランガイキャプテンの写真2 2015-01-22 12 21 09.jpg

白須代表もバランガイスタッフのTシャツを着て米の配布に参加しました。

白須さんとバランガイキャプテンの写真2015-01-23 9 52 25.jpg
【バランガイキャプテンと】

3000世帯への配布時間は長時間に渡り、本当に大変でしたが米を受け取った多くの人々からタガログ語で「Maraming Salamat po(本当にありがとう)!」とたくさんの感謝の声や笑顔を いただき、その度に元気をもらいました。

配布の様子、住人の笑顔の写真 数枚5 2015-01-23 11 33 20.jpg配布の様子、住人の笑顔の写真 数枚1 2015-01-23 10 21 09.jpg
配布の様子、住人の笑顔の写真 数枚6 2015-01-23 10 09 19.jpg配布の様子の写真4 2015-01-22 12 50 49.jpg

これからも私たちはフィリピンの貧困に苦しむ人々に貢献する活動を続けて行きたいと改めて決意を固めることができた活動となりました。

配布の様子の写真3 2015-01-22 12 43 39.jpg

今回の支援にご協力いただきました方々、寄付を頂きました方々には心より感謝申し上げます。

トラックから米をおろす様子の写真1.jpg
posted by resultsjp at 17:32| Comment(1) | フィリピン

マニラ活動報告(1)

結核、ワクチン、栄養に関連する事業のために、沖縄〜マニラ〜ベルリン〜ケープタウンを回った3週間にわたる長旅の途中、日本リザルツの最強パートナー木下さんから、白須と木下さんのマニラ活動報告のまとめブログが届きました。
木下さん、どうもありがとうございます。

―――
日本リザルツパートナーのロータスチルドレンの木下です。

1月19日の夜、私と白須代表はフィリピンのマニラ国際空港で合流しました。
白須代表の渡比の目的はスモーキーマウンテンで暮らす人々への支援物資の配給及び感染症の実態調査です。

翌1月20日の朝、私たちはフィリピンマニラのゴミ捨て場 スモーキーマウンテンを訪問。

【スモーキーマウンテン】
スモーキーマウンテン写真.JPG

このスモーキーマウンテンというのは、かつてのマニラ中のゴミの最終処分地で、山のように積もったゴミからメタンガスが発生し、頻繁に自然発火することから名付けられました。
当時このスモーキーマウンテンの周りには職に就けない最貧困のスカベンジャーと呼ばれる人々が巨大なスラムを形成し、ゴミの中から鉄や非鉄、プラスティックなどの資源を拾って換金して暮らしていました。

しかし、世界中からスモーキーマウンテンは「貧困の象徴」と揶揄されるようになり、1995年、時のラモス大統領がフィリピン国家の恥だとしてこのスモーキーマウンテンを閉鎖し、スラムを強制撤去しました。
スラムを強制撤去させた政府は、スモーキーマウンテンの隣に家賃無料の永住団地を建設し、スカベンジャー達に住居を提供しました。

【永住住宅】
永住住宅写真.jpg

今回、白須代表と私が訪れたのは、そのスモーキーマウンテンにおける永住住宅のバランガイ(フィリピンにおける最小単位の行政自治区)です。

ここに住む80%の人々は、住居を与えられても雇用がないマニラでは生活ができず、結局現在もすぐ近くに場所を移したアロマゴミ捨て場でゴミを拾って生活しています。

【ゴミ拾いしているスカベンジャー】
ゴミ拾いしているスカベンジャー写真.JPG

私たちは、スモーキーマウンテンに住むクリスティーナさんとバランガイのスタッフの方々に、スモーキーマウンテンに住む人々の現状、今回の支援物資配布の対象となる世帯数などをヒヤリングしました。

打ち合わせ写真015-01-20 12 20 34.jpg

フィリピンで超多剤耐性結核から回復したミルドレッド・フェルナンドさんの話などもしながら、スモーキーマウンテンでの結核の状況なども聞きました。

打ち合わせ写真2 2015-01-22 11 55 28.jpg

当初、私たちは小学生の子供達に文房具を配布しようと検討していましたが、バランガイスタッフの方々と何が今一番求められているのかディスカッションする中で、結局のところ米が一番喜ばれるという答えに辿り着きました。
この答えは、将来の希望よりも、今をどう必死に生きるかというスモーキーマウンテンに住む人々の過酷な現状の反映でもあります。

私たちはこれを受け、文房具から米の配給支援に予定を切り替えて、早速米の問屋へ向かいました。

米屋写真.jpg

スモーキーマウンテンから車で15分ほどの場所に、米問屋が並ぶストリートがあります。
私たちはこれらの米問屋を数件回り、品質や相場を調べ、粘り強く条件や価格の交渉をしました。
粘り強い交渉の甲斐あって、なるべく多くの人々にたくさんの米を届けたいという気持ちが米屋さんの心に届き、最後には現地の人からも安いと驚かれる価格と条件で交渉が成立しました。

【米屋の女性社長と】
白須さんと米屋の女性社長の写真 2015-01-20 13 27 14.jpg

<写真が多くなるので配布のようすは『マニラ活動報告(2)』に続く>
posted by resultsjp at 15:58| Comment(1) | フィリピン

2014年09月19日

ところ変われば・・・・

私は現在、アイルランドに住んでいます。イギリスの一部、北アイルランドではなく、南のアイルランド共和国です。この国は高緯度に位置していますが、近くを流れる暖流の影響で冬はほとんど雪が降らず、一年を通して非常に過ごしやすい気温です。その一方で雨がよく降り、曇りの日が続くことも珍しくありません。また、高緯度にあるために夏と冬の日の長さが大きく異なり、朝5時頃には空は明るく、夜10時過ぎになるとようやく暗くなり始める夏は気持ちよい日々ですが、冬になるとその逆で朝9時頃にやっと空が明るくなり、夕方4時半頃にはもう真っ暗、という日が続きます。

アイルランドに来る前から、日照時間とうつ状態の関係については聞いていました。「日照時間が短くなったときに、脳内で気分・感情を調整するセロトニンが不足し、落ちこみやすくなる」というものです。でも東京や北京に住んでいた時に、幸いにも自分や周りの人が日照時間による心理的な変化を経験しなかった私は、その事実をさほど気に留めてはいませんでした。ところがアイルランドに来てみると、Mental Health(メンタルヘルス)分野の進歩に驚きました。裏を返せば、進歩せざるを得ない事情があるということ。日本ではあまり馴染みのないカウンセリングも多方面に渡ったものがありますし、こちらの方々は大きな抵抗なく、カウンセリングに通います。

所変わって、レイテ島の結核調査でオルモック市保健局長のネリタ・ナバレス先生とお話していた時のこと。驚いたのは昨年11月の台風被害があるまで、オルモック市には精神科の専門医がおらず、治療薬もなかったという事実でした。台風で被さいした後は精神科専門医の治療が必要となるケースが相次いでおこり、国際NGOから派遣される精神科専門医と治療薬で対応しているとのことでした。(NGOの援助が終了してしまった後のことは、この時点では何も決まっていません)決してオルモックにはメンタルヘルスの問題がなかった訳ではなく、他に優先するべき問題があったということは事実です。極端な言い方になるかもしれませんが、ひょっとすると「うつ」という概念がないのかもしれません。
ナバレス先生は「フィリピン人は、柔軟性に優れた人たちで、ちょっとやそっとのことじゃへこたれないのよ」とおっしゃっていましたが、彼らの底力や底抜けの明るさ、少々落ち込んでいても「病気」だとは思わず、「ま、明日には良くなるよ」という楽観さは、フィリピンで燦燦と照っている太陽のエネルギーの恩恵であると思っています。

国が違い、文化が違い、気候が違うと、「健康や疾病」まつわる概念や課題も違い、そしてそれらのつながりの深さを実感すると同時に、この冬も日照時間の少なさに負けないぞ!と様々な対策を練っている今日この頃です。(wku)
posted by resultsjp at 22:17| Comment(4) | フィリピン

2014年09月13日

レイテ島 結核調査報告31(調査報告7)

今回でこのレイテ島結核調査報告も最後となりました。「5.保健施設とその被さい状況」について、2014年3〜5月における状況をご報告いたします。

喀痰検査:レイテ州では全てのRHUに臨床検査室があり、パロRHU以外は喀痰塗抹検査を各自実施しています。町臨床検査技師がいる施設(RHU)とそうでない施設があることで、結核患者発見と結核治療に大きな差が出てしまうため、レイテ州保健局結核プログラム責任者は早急に各RHUに町臨床検査技師を配置すべく州・町政府に働きかけているところです。
タクロバン市の臨床検査技師の数は地区保健所の数より少ないため、臨床検査技師は月に数回、それぞれの地区保健所を訪問して喀痰塗抹検査を行っています。市保健局のDOTSセンターでは検査を毎日実施しており、ほとんどの患者は市保健局で喀痰塗抹検査を行っています。
オルモック市では、市保健局の臨床検査室で検査を一括しており、患者は市保健局で喀痰塗抹検査を受けます。

X線検査:レイテ州やタクロバン市に住む結核患者疑い患者は病院で、オルモック市の結核疑い患者は市保健局でX線検査を行っています。

今回調査した施設のうち、RHUやDHCから独立したDOTSセンターがあったのは(台風による被害で修復中の施設を含めて)DOTS治療を行っている57施設のうちの54.4%でした。2013年の台風上陸前に、保健省がDOTS建設用の予算200,000ペソを各施設に組んだとの情報がありましたが、、既にその予算を使ってDOTSセンターを建設した施設とそうでない施設があります。

DOTSセンターには、保健省/PhilCAT(Philippine Coalition Against Tuberculosis)によるDOTS認証と、PhilHealth認証の2つがあり、前者はDOTSの標準化と質の確保を目的としてクライテリアを設定し、その一部はPhilHealth認証のクライテリアと重複しています。PhilHealth認証の目的は、認証されることによりBenefit package、健康保険制度を利用する、つまり患者と施設が一定額の支給を得られることです。しかし、以前ご報告しましたが、これらの認証制度は課題を抱えています。

台風ハイエンにより、タクロバン市内のDHCとタクロバン市を中心としたパロ、タナウアン、トロサ、デュラグのそれぞれのRHUは壊滅的な状態となったものの、仮施設もしくはそれぞれの施設ででほぼ全てのサービスを台風前と同様にコミュニティに提供しています。また、フリタ、タボンタボン、マヨルガRHUも大きな被害を受け、2014年4月下旬現在ではRHUは修復中です。調査施設の9割以上がフィリピン政府、国際機関、NGO/NPOの支援で修復完了/現在修復中、喀痰検査も再開しています。喀痰検査中断は台風後平均1〜2ヵ月間、最長4ヵ月間中断しました。

各種データは、タクロバン周辺の町/地区保健所は壊滅的な状態になり、データも修復不可能になっているものがあります。タクロバン市保健局は過去の結核プログラムデータを台風で失くしました。結核関連データの質や環境整備は、USAIDの支援(IMPACT)で四半期に1回データ・クオリティ・アセスメント(Data Quality Assessment, DQA)や感染症対策等の研修があり、一定の質を保っています。

長期に渡る本調査の報告ブログをお読み頂き、本当に有難うございました。

*結核調査結果の詳細については、日本リザルツ東京オフィスへお問い合わせください。(wku)
posted by resultsjp at 10:03| Comment(2) | フィリピン

2014年08月29日

レイテ島 結核調査報告30(調査報告6)

引き続き、今回は4.PhilPACT達成率についての調査結果です。

4.PhilPACT達成率(PhilPACTについては、過去ブログ:http://resultsjp.sblo.jp/article/102150445.htmlをお読みください)

1.症例発見率、全ての型(Case detection rate (CDR), all forms):90%
調査対象地域における2011〜2013年の症例発見率ですが、タクロバン市以外はターゲットを達成しておらず、レイテ州はターゲットの90%を大幅に下回る達成率となっていました。タクロバン市の結核コーディネーターによると、タクロバン市はEVRMCを始めとした4公立、市立の病院で検査を実施してることが高症例発見率に繋がっているとのことです。

2.治癒成功率、全ての型(Treatment success rate, all forms):90%
調査対象地域における2010〜2012年の治癒成功率を調べました。治癒成功率は治療開始から1年後に報告されるため、現在報告されているのは2013年報告分まで、つまり2012年に治療を開始した症例の治療結果です。

治癒成功率は、治癒症例 と治療完了症例を足したものが、全結核症例数に占める割合のことで、例外はあるものの、レイテ州と東ビサヤ地域の結核治癒成功率はターゲットの90%に達している一方で、タクロバン市とオルモック市はターゲットに達していませんでした。これは症例数(分母)の大きさの違いによるもので、レイテ州は数千件、タクロバンやオルモック市では数百件とその症例数に大きな差があり、そのために治療中断症例、治療失敗症例や死亡症例の割合が大きくなってしまうことによるものと考えられます。(タクロバン市やオルモック市の治療中止症例、治療失敗症例や死亡症例数が多いわけでは決してないことは調査済みです)

3.多剤耐性結核の報告率(Notification rate of MDR-TB):報告された全結核症例のうち、推定多剤耐性結核症例:40%
4.多剤耐性結核の治癒成功率(Treatment success rate of MDR-TB cases):75%
3、4の多剤耐性結核関連結果については、パロ町にあるPMDTのサービス開始から約1年であり治療を完了した症例がまだないことと、昨年の台風による被害で各種報告が遅れていることから、今回の調査では収集することが出来ませんでした。

*結核調査結果の詳細については、日本リザルツ東京オフィスへお問い合わせください。(wku)
posted by resultsjp at 08:57| Comment(2) | フィリピン